ものおもいのほほん

ゆるゆるとおもいのまま

自分の体験ではあるが、怖かったのは自分以外の家族全員。

今週のお題「怖い話」

 

◆先ずは夏らしい怖い話

 19歳の頃、昭和57年の話です。

親元を離れ学校の学生寮で生活をしていました。

 これはその寮での出来事です。

寮は鉄筋の3階建てで1階は寮に住む学生のための食堂があり、私は2階に住んでいました。

 部屋は6畳一間、トイレ、風呂、炊事場は共同で、汚かったのをよく覚えています。

周りは、むさくるしい先輩たちも含め北は秋田、南は九州まで出身も生い立ちも違う個性的な青臭い男だらけ。

   ただ3階は、今ではとても考えられないかもしれないが、魅力的な先輩もそうでないのも含め女子寮で、しかも24時間、往来自由なんです。

もちろん私は清廉潔白でしたよ。

 涙あり、笑いあり、なんとも楽しい学生寮生活でありました。

いろいろと勉強させてもらいました。あぁ懐かしい。

 

 2年生になると後輩が入ってくるので、元居た部屋を譲ることになっていて卒業した先輩の部屋に引っ越しすることが、規則で決まっていました。

 今度は反対側の東側で、あまり陽の当たらない部屋に移ることになりました。

今までの西向きの部屋は、当時エアコンなど完備していませんから夏になると窓を開けていないと部屋にいられないようなところでしたから、『東側だったら多少暑さから免れるだろう』と少しは喜んではいました。

 しかし、今度の部屋は、ドアを開けると真ん前に古い病院立っているのですが、

貴重な日差しを遮ってしまうので、昼間でも中は少し暗い感じだったんです。

外から見ただけではわからないものですね。

「日が当たらない部屋」の写真

  部屋を引っ越し、やっと部屋の中が片付いたある日曜日の朝でした。

その朝は珍しく、窓からの薄っすらとした朝の光で目を覚ましすがすがしい気分で瞼を開けようとしたのですが・・・。

  何か気配を感じたんです。もちろん部屋には私一人です!

 【何かが、自分の顔を覗きこんでいる。】そう感じたんです。

目を閉じて想像してください、人の顔が近付けばわかりますよね、わずかな息が、頬に当たる感覚と体温を感じませんか?・・・それです。

 瞼が開くか開かないかでした、『ひっ!』と息をのむ声?がしたと思ったら

 バタバタバタバタバタバタバターッ!!

と入り口のドアに向かって畳の上を慌てて裸足で走っていく数人の足音がしたんです。

 あの足音は子供です。歳は幼稚園児くらい?3人か4人でしょうか?

 状況としてはこんな感じだったんでしょうか?

 いつも一緒の仲の良い子供達が、間抜け顔で寝ているお兄さんの顔をみんなで面白がって覗き込んでいたら突然目を覚ましたものだから一瞬『わっやばい!』って息をのんで、慌てて逃げるように部屋から出ていった・・・。

 こんなところだったのではないでしょうか? 

 もちろん入口のドアは閉まっています。開いた音もしていません。

 今でも、あの素足で畳を蹴る足音はハッキリ覚えています。

 あの姿の見えない、いたずらな子供たちは何だったんでしょうか?

 いつの時代からみんな一緒にいたのでしょうか?

 

 もう一つ不思議なこと、姿は見えなかったのですが

 私には和服の女の子短パンにランニングシャツの男の子を感じました。

見えないのにわかることってあるんですね。

 

 ■どこまでもマイペースで無頓着な困った子供。

 小学3年生の頃、昭和46年の話です。

 私が育ったところは平地の集落から6㎞の山道を登ったところにある人里はなれた

部落でした。そこは地元でも有名な徳川家康縁の大きな寺があり、千手観音立像(国指定特別重要文化財)が納められている。山の上からは遠く駿河湾が見渡せる、なんとも癒される

生まれ故郷です。そんなのどかな夏の昼下がり、家には私一人だったんです。

 夏休みでした。

 普段は自由にテレビを見れませんでしたから、ここぞとばかりにダイヤル式のチャンネルをあっちこっちに『ガチャガチャ』変えながら思う存分堪能していました。

 そこへ来客がありました。居間からひょいと首だけ出して開けっ放しの玄関を覗くと

元部落に住んでいた近所のおじさんでした。おじさんの家族は不運でしばらく前に家が火事で全焼して家族そろって隣町に越していきました。父も母も急なことだったのでその時はずいぶんおじさん家族の世話をしたようでした。それでお礼もあり訪ねてきたのだと思います。

 おじさんとどんな話をしたのか全く覚えていませんが、おじさんが『家に遊びにおいで』と誘ったのでしょう。すぐに行くことになりました。

 おじさんには息子さんが2人いました。お兄さんとは10歳程も年が離れていましたが、弟さんは確か歳が4つ位上だったと思います。おじさん家族とは小さい頃から顔見知りであったので『久しぶりに兄ちゃんたちに会いに行く』そんな軽い感覚だったんですよ。

 おじさんの新しい家は今でもかすかに覚えていますが、長屋の一室のような場所でした。間取りは2間程でそこで4人で暮らしていました。おじさんの家に着いたのは

午後4時頃だったでしょうか?お兄さんたちとゲームをしたりいろいろなことを話したりテレビを見たりしていました。そのうちおばさんも帰ってきて夕飯の時間になり『一緒に食べていきなさい』ということになりました。

 夕飯はインスタントラーメンでした。それはよく覚えています。

おばさんが台所でいろいろと夕飯の支度をしてくれているときでした。

おじさんとおばさんが台所に立って何か言い合いを始めたんです。

よく見ると、おじさん包丁を持っておばさんに向けている。

おばさんが『●●ちゃんが見てるのにやめてよ!』といっらおじさんも我に返って包丁を引っ込めた。

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 お兄さんたちは慣れているようで『あんなのほっといて遊ぼう』ってな感じで

私に見ないようにさせて・・。

 我が家ではこんな事とは全く無縁でしたから、この時のことは小学3年生の男の子の脳裏にハッキリと長期記憶として焼き付いてしまいました。

なのでこの後、微妙な空気の中、よその家族と一緒に食べたラーメンは忘れられません。

 そうそう、おばさんに言いたかったんですよ。

 紅のかまぼこ、もう少し厚く切ってほしかったな。って

 

 この時の出来事は中学生くらいになって『あの時おじさんも精神的にキツかったんだろうなぁ』程度に回想したりしましたが、今でも【こんな事にならないようにしないと】という戒めの一つにはなっていると思います。

 

 さて外もすっかり暗くなりました。夕飯も無事に何とか終わり、また和気あいあいとお兄さんたちとの話の盛り上がっていたころ、全く違う場所で恐怖におののく人たちがいたんですよね。

ここで大事なこと、あるいは大きなミスに気付く方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 わかりましたか?そうなんです!

 

 私もおじさんも私の家族に何も伝えてなかったんです。

 

そりゃ村中大騒ぎです。

子供が一人失踪したんですから。

『山に入って帰れんようになった!』

『北の谷から落ちたんじゃないか?』

『山のイノシシに襲われたんじゃないか?』

もう何人も総出で暗い山の中探してくださったそうです。申し訳ありませんでした。

 

 そんな頃、ようやくおじさんが気が付いたようで私の家に電話したんですよね。

どう話をしたんでしょうかね?

 その日は、そのままおじさんの家に泊まり翌日は学校の何かの当番で登校日だったと記憶していますが、学校まで送ってもらいました。

 その後のことは、ほぼうろ覚えですが、おじさん、大変だったでしょうね。

父と母と祖父からも散々責められたでしょうね?

その後しばらく父と母が、おじさんのことでいろんな話をしてましたから。

いい話ではないなと、子供なりに理解してましたから。

 私に対しては何も怒ったり叱ったりしなかったんですよ。

子供心に気持ち悪いくらいでした。いつも怒られてばかりでしたから。

全部、おじさんの責任になってしまったんでしょうかね。

 しかし、なんて身勝手な子供だったんでしょうか?

悪魔の様な子供ですね。

家族にこれ以上ないほどの恐怖を与えてしまいました。

 もっと恐ろしいのは当の本人、事件直後の小学3年生の私ですが、

全く恐怖も感じておらず、逆におじさん家族と過ごせて

『楽しかったなー』としか思っていなかったんです。ごめんなさい。

親の心子知らず どころの話ではありませんよね。もっとひどいです。

 

以上

  

本当にあった怖い話 でした。