今週のお題「ごはんのお供」
ご飯も色々である。
どんな視点から捉えるかによってさまざまな食事風景が浮かんでくる。
料理の味ひとつとっても食事をする状況、例えば誰と食事をするかによって
その日何があったのかにも影響されて変化するものだ。
『ご飯のお供』と呼べるものはそういった環境・状況に関係なく
フェアな状態で考えなくてはならない。
そういった意味では、人それぞれの『食に対する趣味嗜好』の世界であるので
自宅で、一人で、ご飯を食べる場合
自分本位で選択し
しかし選択の余地がなく
避けて通ることのできない『お供』という食材
この観点から考えればかなり核心を突く答えができそうである。
おーげさ。
私の中では【マヨネーズ】
である。
今でこそ「マヨラー」とか言った言葉も生まれマヨネーズ好きは
公的に権利を得てこのコレステロール高めの背徳な食材が好みであることを
堂々と公言できる幸せな世の中になったのだが、さて、これが数十年前ともなれば
状況は一変する。尚且つ 【ご飯にマヨネーズをかけて食べる】
などと言い放った場合、周囲の反応のなんと冷たかったことか。
驚嘆な表情を浮かべる。
変態を見るような視線。
凍りつく空間。 だから オーゲサだって!
全身で受け止めなくてはならなかったのである。 あ~腹減った!そろそろお昼ご飯?
今とは違い、なんと肩身の狭い思いをしたことか?
物心ついた時からマヨネーズは存在していたわけだが、それを
ご飯にかける 行為を始めたきっかけは記憶にない。
記憶にないほど自然な行為だったのだろう。
よく考えてみてもらいたい、一般的にはマヨネーズは、どんなものにかけるのだろうか?
まず頭に浮かぶのは 生野菜たっぷりのサラダではないだろうか?
特に茹でたブロッコリーとの相性は抜群ではないでしょうか?
お米は植物で、いうなれば茹でた野菜です。
サラダにマヨネーズ ≒ ご飯にマヨネーズ
ということになりますよね? とても自然なことです。
何故数十年前は、世間ではこんな簡単なことに気づかなかったのか?
何故あれだけの迫害を受けなければならなかったのか?
だから人が何言おうがおいしけりゃいいじゃん!
この積年の思いはいまだに癒えまることはありません。
さ~て、お昼ご飯たべよ。今日はキューピーかけよかな?
お醤油もちょっと垂らそうかな?