ものおもいのほほん

ゆるゆるとおもいのまま

元旦からプチ介護

今年はめずらしく1月1日元旦に故郷に帰省しました。

いつもなら1月3日なのですが今年はコロナ恐怖症の妻を家に置いて

実家に向けて、気楽な一人旅。

ジョン・デンバーの『カントリーロード(Take Me Home, Country Roads)』を

鼻歌まじりにのんびり運転しながら父母のいる家に向かうのでした。


生まれ故郷に帰るって毎回ウキウキして、たまにもらえる「ご褒美」

みたいでなんとなくうれしいものです。

しかも今回はひとり。

「ここのサービスエリアで●●が食べたいから寄って」とか

「次でトイレ休憩!」とか後席からの命令はありませんから楽チンです。

 

ゆっくりとドライブを楽しみながら帰ったこともあり4時間近くかかって

人里離れたひっそりとした山間部の実家に到着しました。

 

二人合計184歳の父と母も笑顔で温かく迎えてくれて一安心。

炬燵を囲んで「体の調子はどう?」とか「身の回りの出来事」など

いろいろな話をします。

 

その中には以前にも聞いた話もいくつもありますが、それはもう立派なお年寄り

ですから、素直に聞き入れます。

 

そんないつもの会話を楽しんでいると1時間ほどして母が左足の軽い痛みを訴えます。

話を聞くと午後に入って家の2階を掃除して階段を下りて履物を履こうとした際に

足を滑らせて少しひねったとのこと。

「じゃあ病院に行って診てもらおうか?」といったもののよく考えると1月1日。

 

「元旦から診てもらえる病院は無いしどうしよう」などと考えているうちに

症状が急速に悪化、膝が痛くて歩くのもままならなくなってしまいました。

91歳の母の表情が苦痛に歪み見ていられません。

 

すぐに麓に住む長男に連絡しましたが、「市民病院の救急の窓口はあるけれど

命に係わる状況でない限りは診てもらえない」という返事。

最近よくある地方の医療問題に直面してしまいました。

ほんと、苦しんでる人がいるのに診てもらえないなんてありえない。

 

「少しでも早く痛みを和らげてあげたい」・・・

そうなると頼みの綱は薬を売っている「ドラック」です。

ここなら元旦から営業しています。

大急ぎで麓の「スギ薬局」に駆け込みました。

薬剤師らしき白衣の店員さんに症状を説明すると「これならよく効きますよ」と

勧めてくださった湿布と念のため痛みが激しくなった場合に痛み止めの薬を買い込んで

すぐに家に戻ります。絵に来たような見事なトンボ返りです。

 

家に着くと、家事をしようと杖にしがみついて歩こうとする母の姿に驚いて、

「えーっやめてー」とすぐに静止しました。

痛みに耐えながら動こうなんて無謀すぎます。

またも母の苦悶の表情。

 

すぐに体を抱えて椅子に座らせて、湿布を貼るためにズボンをあげて膝を見ると

すっかり腫れ上がってグレープフルーツのように丸くなっています。

母に膝とその周辺の痛みがあるところを聞いてとりあえず3枚を貼り付けました。

「痛み止めの薬も飲む?」と聞くと「湿布を貼ってもらったから大丈夫だよ」

というのでしばらく様子を見ることにしました。

 

さて、こうなると覚悟をしなければなりません。

母に変わって家事をこなさないとです。もう❝お正月は実家でゆっくり❞

なんて気分はどうでもよくなりました。

 

まずは夕飯の買い出しと母が使えそうなしっかりした杖もありませんから

それも探さないとです。

他にも家の中を見回すと洗剤やら石鹸・シャンプー等々必要なものがいっぱい。

再度、車で山を下り麓の街のスーパーやホームセンターをはしごします。

 

スーパーの買い物も大変です。まず父と母が好きそうなものを探します。

それと「老人が食べられそうなもの」という目線でも選ばなくてはいけません。

「とりあえず焼肉だ~」と言って肉を買っていってもそんな脂の多いものは

食べられません。

結局便利なのは真空パックに入ったおかず類等です。

パッと開けてすぐに食べられて、食べきることができる量なところもいいですね。

後は、野菜炒めくらいは料理できるのでいくつか野菜も選びました。

それと時間がかかったのは杖でした。

母のために松葉杖が欲しかったのですが、無いんですねこれが。

ホームセンターにもドラックにもないので仕方なく肘で支えるような杖

にしました。こんな感じの杖です。

結局、役に立ったような立たなかったような微妙でした。

苦労して走り回った割には残念な結果、しかし「目先の間に合わせ」

ですからそんなもんです。

やはり普通の松葉杖が最強なんですね。

 

その後、数日は家事と親の「プチ介護」でてんやわんや。

でも、親の世話ができたことはとてもうれしいものです。

少しの間ならやりがいもあります。

しかし、母のようにそれが毎日かと思うととても重く感じてしまいます。

 

普段の母の生活は大変です。

食事や洗濯など家事全般はもちろんなのですが、父の世話もしなければなりません。

93歳の父は10年ほど前からストーマ(人工肛門)です。

kaigo.homes.co.jp

 

なので本当の肛門から便を排泄することはありませんからお腹に作った肛門に

「パウチ」という袋を貼り付けてその中に便が溜まっていきます。

普通は自分の体ですから本人が「パウチ」の取り換えをするのですが

頑固でわがままな父はそれを一切母に任せています。

まあ、母の話ですと父は一度トライしたそうですがめちゃくちゃ不器用で

全くダメだったそうで「この人には無理!」と諦めたそうです。

 

交換している所を見たことはありますが、いくら家族とはいっても

悪臭は漂うし、手に着いたらイヤなものです。

しかし、母はとても器用でまるで介護士のように手際よく丁寧に交換します。

「さすがだな~」と感心してしまいます。

 

これは確かに母でないとできないことだと感心すると同時に父に対して

「母のような人が寄り添ってくれて自分がどれだけ幸せなのかわかってんのか?」

とそんな💩袋(パウチ)交換のふたりの様子を眺めながら、そんなことをよく思います。

 

それだけでなく、父は「紙オムツ」もしています。

寝室からトイレまで少し離れていますが、ヨチヨチ歩きの老人ですから

その中間地点でいつも漏らしてしまいます。

寝室に簡易トイレを置いているのですが、父の自尊心のあらわれなにか

使ってくれません。

その後の世話も母の仕事。

 

今回の母の足の痛みを訴えたということは父にとっても一大事です。

「おかーちゃんが足が痛くて動けないんだって!」と父に言っても

「あ~、そーか」というだけ。

「ほんと!わかってんのか!」って思います。

 

父は母がいないと生活できません。

これまでもずーっとそうです。

父は昭和も初期の育ち。

男は女性に対して偉そうにしなくてはいけないような風潮の時代です。

だからと言って自分の人生に付き添ってくれる人は大切にしなければいけません。

しかし、父は母の前では威張ってばかり、自分の言ったことが通らないとすぐに

怒鳴るわがままな男。

それと祖父も父と同じような性格でしたから私たち兄弟が子供の頃の母の苦労を思うと

なんと言葉をかけていいものかわかりません。

 

そして今も身を削って尽くさなければならない母の気持ちはどんなものか

想像したりもしますが、私の中では「聞きたくても聞けない」事になってしまいまし

た。

せめて母の心情を察する事しか出来そうもありません。

 

今年は元旦から予想しなかったことが起きました。

というか偶然元旦に帰ったからよかったのかもしれません。

あれから数週間で母の足もすっかり良くなりました。

そして今日もあれもこれもと、父の世話に身を削って尽しています。

 

実家からの帰り際に母が話しをしてくれました。

ある時、なかなか風呂に入りたがらない父の背中を、お湯で絞った温かいタオルで

拭いてあげていると、父がぽつりと言ったそうです。

 

「お前は神様だ」と言ったんだそうです。

 

その話をしているときの母の表情は少し笑顔なような、何か覚悟をしたような

優しい中に何か凛とした雰囲気のある不思議な表情でした。

 

母に対しては「ありがとう」などといったことがない父。

絞り出た一言は父なりの最大級の感謝の言葉だったのでしょう。

それも何十年分の。

 

情けない息子ですが、私は母には敵いません。

本当に神様かもしれません。

そんなことを感じました。

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。