ものおもいのほほん

ゆるゆるとおもいのまま

昭和5年1月に私の父は農家の長男として生まれました。

当時としては比較的裕福な農家だったのでしょうか?

長男としてずいぶん甘やかされて育ったようで

90歳の現在も、わがままいっぱいに生きています。

こういった老人ですので世話をする母も大変ですが

今となってはそれも母の生き甲斐になってしまっているようで

三番目の息子としては、なるべく母に負担をかけてほしくないと

思いつつ、生き甲斐だから仕方ないかと思いつつです。

 

私の小さい頃の父親の印象は、

額に汗水たらして一生懸命働く頼もしい父親です。

 

農家ですから 額に汗水たらすのはついて回るものですが、

お茶とみかんを生産する農家だったので、特に春のお茶の季節には

朝から軽トラックで山のお茶畑まで移動してお茶の葉を刈り取って

刈り取った茶葉が入った袋を荷台いっぱいに積み上げて自宅のお茶を

加工する機械のある加工場に持っていき、夜遅くまで作業をして翌朝4時頃には

加工場にお茶の専門業者(農協の担当者)が来るので完成したお茶の受け渡し作業をしての繰り返しが繁忙期中の仕事です。

 

寝る時間もあまりなく働きますから結構業種としたらブラックな感じでしょうか?

そんな姿を見てますから上記の印象なんです。

 

そんな労働条件がきつい農家ですからある程度子供が大きくなったら

家の手伝いをしろ!とか普通に言うじゃないですか?

でも男3人兄弟なんですが、父はあまりそういったことは言いませんでした。

もっと勉強しろとかも、あーしろこーしろ!とも言わなかったんですよね。

今思うともっと言ってもらった方が良かったのかもと思ったりしますが、

言われなかったから本当にほとんど家業は手伝わなかったんですけどね、

勉強もあまりしなかったですね。

親不孝なバカ息子です。ごめんなさい。

 

 お前はお前の道を探せ! 

と言っているのかなとも思っていましたがね。

ありがとうございます です。

 

農家だったので晴れた日は仕事で雨が降ったら仕事は休みみたいなところもあり

計画的に家族旅行に行くなんてことはほぼ無かったんですよね。

お茶が終われば次は みかん が待ってますから 農業は手間暇かけてなんぼですから

暇があるようでないんです。

記憶にあるのは3回です。

大阪万博

箱根

山梨

ですかね。

楽しい思い出ですよ。家族で言った貴重な旅行の記憶です。

父は車の運転が好きなようだったので万博以外は車で移動でした。

当時はナビゲーションなんてありませんし道路だって十分管理されていない時代ですからから道を間違えたりして苦労したでしょうね?

運転お疲れ様でした。

ありがとうございます です。

 

父は、わがままな性格ですが、母とは喧嘩をしませんでした。

見たことがありません。

何か問題があっても 母のせいにして責めたりましてや手を上げたりは

今でも一切ありません。

優しい父親なんです。そのあたりは見習っているつもりですし教えられたこと

でもあると思います。

おかげで妻との関係は結婚28年目ですが、良好です。・・・と思います。

ありがとうございます です。

 

父は90歳です。

恥ずかしいのですが、いまだに本人にありがとうの言葉を直接言っていないのです。

できれば 『あなたは、いい父親だったよ。ありがとう。』と

言いたいのですが、下手に言ってしまうと 今生の別れ になってしまいそうで

怖いんですよね。

この人の息子に生まれてよかったと思っています。