悩みながら選択するのも自由
「やったー!〇✖△#から解放された~」っていう代表的な自由は
親から離れて暮らすことで感じましたね。
これで何をやっても小言を聞かなくていいし誰の許可も無くても
何でもできるんだってね。
なにより時間の使い方も学校とアルバイト以外は自由なわけです。
それに親から離れて暮らし始めたのは学校の寮だから、周りもみんな同じで
ちょっと暴走気味の同級生もいたりして、そりゃなにやっても楽しかったですよ
ほぼ全て初めての経験ばかりですから。
そんな「無責任な自由」はそう長くは続きませんでしたが
それはそれでよい経験でした。
でもそれで自由がなくなったわけではありません。
「責任のある自由」もあります。
初めての責任のある自由は学生も終わりがみえて
「さて、この先どうする?実家に帰るかこちらで就職するか?」
と岐路に立たされた時に感じましたね。
この先どうするかを自分で決める自由、その先どうなるかはわからないけれど
進むしかない道のように感じました。
少しでもより良い自分の未来のために「責任のある選択する自由」といえば
いいでしょうか?
その先もこの瞬間も、いろいろと選択に迫られることは毎日あるのですから
「常に自由はある」ともいえるのですが、周りのこともよく考えて
選択していきたいものです。
それが良い方向に行くのか、そうではないのかはわかりません。
結果は常に❝まだら模様❞なんですよね。
面倒な話ですが哲学の中で、人生の選択に関する学術的な用語で
「実存主義」とは人は自分の選択によって人生を形作るという考えで
自分の存在や意味を自分で決める自由と責任を持つという立場です。
「決定論」とは人生のすべての出来事はあらかじめ因果関係によって
決まっているという考え方です。
自由意志や洗濯は幻想であり人間は自分の運命に従うしかないという立場
です。
私は断然、「実存主義」です。
選択の自由は常に人生と共にあります。
さて、今まさに選択に迫られています。
『日清デカうま豚キムチラーメン』か『ニュータッチ仙台牛タン塩焼きそば』
どちらを食べればこの先私の人生に喜びを与えてくれるでしょうか?
しかし麺がのびないうちに選択しないといけません。
悩ましいですね。
最後までお読みいただきありがとうございます。